私はこう聞きました
阿弥陀経は 如是我聞という
文言から始まります。
如是我聞と爾時(その時)という
出だしのお経はとても多いと思います。
「じょしがぶん」 とか 「にょぜがもん」 とか
宗派によったり、地域によったりで
読み方は違いますが、
「かくのごとく我は聞きたまえり」
私はこういう様に聞きましたよー
という出だしです。
お経は元々、お釈迦様の説かれた教えを
残していこうという事で編纂されたのがはじまりです。
ですので、お釈迦様の身の回りのお世話をされていた
阿難尊者が、お釈迦様から私はこういう様にお聞きしました、
みなさまいかがでしょうか。
こういう様におっしゃられていたでしょうか。と
他の弟子達に
確認をとる過程から自然に出てこられた言葉です。
人は、本を読んだり、話を聞いたり、TVを見たり
いろいろ情報を入れて、受け売りのように話す場合も
あるでしょうし、解釈を入れて話すときもあるでしょうし、
組み合わせて話を作ることもあるでしょう。
それはいいのですが、そのまま伝えたいと思ったとしても
気づかないうちに、もともとの話の内容が
変わっていったり、解釈を聞いた端から入れてしまうことが
ほとんどです。
そこで、私は、こういう様に聞きました。というスタンスでいれば
そういうもんだなあと知った上で、極力解釈入らないように
お伝えしてますよになるのではないかなあと思います。
すると、自分の知識、智慧としていい話を聞いたわ、という
時に、すぐ都合の良いように解釈することも減って
考えが深めやすいと思います。
誰々は、こう言ってはった。
だれだれさんはこう言ってた。
自分はこうなんじゃないかと思う。
自分の考えと、聞いた話を分けやすくなるので、、
自分の意見や希望が、他の人からの誘導や
社会からのこうあるべきみたいな事から
ごっちゃになるのを防ぎやすくもなると思います。
まああんまり人がこう言ってただけで
私には責任ないですよみたいな感じで使いすぎると
「知らんけど」と語尾に
つけるのと一緒になるかもしれませんが^ー^;
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