しなやかに生きる

無病の驕り

瑜伽論(ゆがろん)という玄奘三蔵法師が訳されたお経に八つの驕りー八憍というのが書かれているというお話をお寺のおつとめ日にさせていただきました。

 そのうちのひとつで、「無病憍(むびょうきょう)」という健康であることにおごりたかぶり、病気で苦しんでいる方への思いやりを忘れるというものがあります。

 特に若くて元気な頃、風邪をひいたりしても一時的にしんどくてもすぐ治り、喉元過ぎれば熱さを忘れて、簡単に風邪ひくなんて気合が足りないとか言ってしまう。年を重ねてもちょっと気に食わない人が病気をしたと聞いたら不摂生だったからあんなことになったんだとかさらっと言ってしまう。

 病名というのは、あくまで医師が一応何々ですねとつけとかないといけないからつけるというだけで、一括りにああその病気ね、それだったら知り合いの人がどうこうとか言いたい事だけいって、励みにならないような言葉をかけてしまう。 

 

    個々人の生まれ持った体質、環境によってその人にしかわからないしんどさというのもあります。

 身近に大病を患った方や介護の必要な方がいるとどういうしんどさがあるという事を長い期間、目の当たりにしますし、何より自分が大病を患ったり、長期間病気を患うとああこんなにしんどいものだったのかと身に染みます。

 そこで健康のありがたさや、他の方も様々どんなにしんどいのだろうかに考えが及ぶ場合もあります。

 その方、その方のしんどさはわからないけれど、寄り添う、少しでもわかろうとすることは出来ます。

 嗚呼、それにしても無病であることに驕る、健康であると思っていると出てくる驕り、我が身を振り返るとこのような気持ちを抱いたことがないとは言えません。こういう驕りというのは生まれやすいものであるからこそ八憍というものを説かれているとは思いますが、丁寧に気をつけていかないといけないと本当に思います。

 

 あと驕りとまた違っているかもしれませんが、友達などが入院してお見舞いに行った時、しんどそうにしているのをみて、ああ自分は元気にさせてもらっているのに何もできていない申し訳ない。◯◯さんはどんな気持ちでやってきた私を見ているのだろうか・・・とか深く考えなくてもと言われるかもしれないですが、考えてしまいます、、勝手に難しくしてしまっているのでしょうか。

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