小さなことからコツコツと 2
大寒(だいかん)ということで、今年は1月20日から節分の2月3日までの節気ですが、本当に寒い日が続いております。
夜はまだしも、朝、仏様の前で勤行(読経)をするときは、大阪とはいえ、なかなか寒くて、上着を厚めに羽織ってさせていただいております。ただ、読経している時は、寒いということは脳が感じないというか、不思議ですね。終わったらすぐ寒さに気づきますが。
良い習慣を身につけたいとか、今年はこういうことがしたいとかの目標ですが、そもそも絶対にしないといけないな、とかしたいなという習慣は良きにしろ悪きにしろ行動しているものです。
みなさん朝起きて、顔を洗って、ご飯を用意して食べて、仕事や学校にでかけて等々、身についているものがたくさんあります。ただ、あんなこといいな、できたらいいな。という思いつきや、なんか自分がこれくらいのものになっていたはずなのにどうも違うなあというギャップで、出来ない、出来ない、目標達成できない、上手くいかないとなっているように思えます。なので、まずは出来ていることに目を向けてみるのもいいのではないでしょうか。
さて、やりたいことがあっても、目的と手段がごっちゃになってみたり、最初のうちはがんばっていても、尻窄みで消滅したり、やる気を持続することは難しいです。
仏教は、お釈迦様を慕って弟子になる人から教団が発生していきました。その頃であっても、なかなか到達することが難しい心の安寧や悟りを求めて、迷うことが多かったことでしょう。そんなときに布薩会といって新月と満月の日に(2週間に一度位でしょうか)皆で集まって、日々の生活が戒律に則って行われていたか、修行の進み具合、修行はどうしていったらいいのかなど、反省や懺悔、意見の交換などが行われていたといいます。こういう先生や先輩、仲間からのチェック機構はいいですよね。励みにもなるし、学びも多くなり、うわっこんなこと気が付かなかった、、と気づくことがあるでしょうし、続けていく助けになったことでしょう。(布薩会は今の日本のお寺でも新月などとは限らないですが、毎年決まったときにされているところもあります。)
これを参考にしようとするならば、資格をとって何かするぞという目標のもとに同じような勉強をしている人を見つけて互いに進捗状況を報告するとか、一緒に勉強するとか、どうしてる?とかを聞いてみたりする仲間を作るということでしょうか。部屋を片付けるとかなら、仲間を作って一緒に競ってもいいかもしれませんが、そうはいかないなら、家族や友人に宣言して、こういう状態にしようと思うと言っておくとかでしょうか。
また、修行をして心の安寧や悟りを得るという目標は、今の時代ではそれは夢であって、具体的、数値化できる目標じゃないよねと言われる気もします。確かにアバウトに見える目標かもしれないですし、どこまでもゴールのない途方もない話でもあります。そこで、師匠からの指導がありつつ細かく決められた瞑想の段階があったり(これは上座部仏教で特に)、修行道場での集団生活では時間や修行方法が厳密に決められていたり、今することをきっちりするということが重要視されます。
ご飯をいただくときは、いただくことに集中。歯を磨く時は歯を磨くことに、食器を洗う時は食器を洗うことに集中というように、日々の生活に意識を置き、今ここで出来ることをきちんとすること、言うだけなら簡単ですが、簡単に心が過去や未来、妄想へと飛んでしまうのでなかなか上手くいきません。だからこそ、集団生活で規則正しい生活を送ることが出来る修行道場は貴重でありがたいものであります。逃げ出したくなる気持ちが生じますが^ー^
絶対生きていくためにしないといけないと思っていることと、自分が好きなこと以外はうだうだと進まないのが世の常。それではどうやってしたいなあと思っていることなどを目標にして進んでいくことが出来るのか、悩ましいところです。
つづく
この記事へのコメントはありません。