しなやかに生きる

趙州洗鉢(じょうしゅうせんぱつ)

2016.08.30

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趙州和尚(じょうしゅうおしょう)

中国唐代末の頃 禅宗の初期の頃

口唇皮子上に光を放つ

と 言われ 言葉するどく 絶妙に

禅の教えを 説かれた 方です。

 

 その方は 公案やいろいろな禅の逸話に

出てこられるのですが その中の一つに

趙州洗鉢 という 話があります。

 

新米の修行僧が

「私は道場に入ったばかりのものですが 悟りの極意をお示しください」と

和尚に 問いかけました。

趙州和尚は

「おまえさんは朝のお粥を食べたかね」と問われ

修行僧は

「はい」

と答えました。

 

趙州和尚は

「それでは、その鉢を洗っておきなさい」

と言われました。

そこで 修行僧は はたっと気づいた

というお話です

 食事に使った食器を洗うというのは

 当たり前のことです。

 そこで はた と 悟るところの

 あった 修行僧は

 道場に入ったばかりと言っていますが

 修行をはじめたばかりというわけでは

 なさそうです。

 

  こういうお話はそれぞれに 受け取るところが

違うのでしょうけれども

私が 読んだ資料には

あるがままの日常的動作の中に、即今の呼吸があるのだと知ったのです。

“悟り”とは、

特別な所にあるのではない、

一切がそのまま、真実の結晶世界なのだということです。

 という よく言われているけれど

 私にはよくわからない 説明でした。

 

 即今の呼吸というのは

 今 そこにある 今そこに生きるというやつでしょうか。

 

 今 やるべき目の前のことを

 当たり前のことをしっかり しなさいという

 しっかり生きるという 生きているまんまが

 悟りなのかなあ と わかったようなわからないような

 そんな 認識であります。

 

  今 できることをする これは 難しいです。

 

 私は

 2、3分も

 集中力 続くことがあるのだろうかと

 あっちゃこっちゃ に 気がいく自覚があります。

 

  仕事とか人と対するときは がっちり

 体 固めて 気を向けている 風味です。

 

  気がついたら こんなに時間がたっていたわー

 というのは おそらく お経をあげていたり

 するとき ぐらいです。

 

 今を生きるというのを実践する はじめとして

 

 当たり前のことを しっかりしなさい

 今 何をすべきなのか を己に問うて

 今 なすべきことを 粛々と

 するということを 思い出すために

 趙州洗鉢(じょうしゅうせんぱつ)の絵のイメージを

 脳内に 持っておこうかなあと 思っています。

 

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