先を読むの害
先を読むことへの弊害みたいな題名を書きましたが
別に先を読むことはいいことだと思います。
したいことに向かって 情報収集をして
先のことを考えたり計画して 今出来ることを
しっかり やる等々ですね。
それとは別に 今を おろそかにしてしまう
習慣が 出来てしまわないかなという懸念です。
子供の頃より
師匠(祖母)によく 一を読んで十を知りなさい
ぱぱっと 頭を回転させてと 怒られましたが
何十年たった今でも まだまだ 程遠く
一を 一としてきちんと出来ているか
それも 疑わしいこともあります。
それは 先を読むということを勘違いして
今やっていることを おざなりにして
先のことばかり 心配してしまう。
気にしすぎてしまうという
習慣というか癖が原因です。
これは もう集中しないといけない
とか 人を前にしてお話を聴くとか
そういう時は むしろ そこに
向かって がーっと行き過ぎ
日々の活動をしている時に
今 目の前のことではなく
明日のこと 来週のこと
どうでもいいことが 湧き出てくる
脳は ほうっておくと
そういうものなのかもしれないけれど
これは 大事に生きるとか
効率とか いろいろな部分が
ふわーっと なくなってしまいます。
ごはんを食べているのに
明日のことばかり考えて 味がわからない
きれいな景色のところにいって
実際に 味わうより
撮影ばっかりして 後でどう見えるかな
が気になってしょうがない
目の前で書類仕事に とりかかろうと
するも あっ あれもやりたいな
これもやっとこう とか
他の用事ばかり思いつく
などなど 日々の生活で
思いつくことはいろいろあると
思います。
まあ もうこれは 不安になるように
いろいろ気が散るように なっているとして
目の前のことを する
一つのことを一つずつ という
訓練を するしかないなと 思います。
これはおそらく 個人個人で
違うと思うのですが
私は キッチンタイマーで
15分とか 10分とか
押しておいて その間は
これやると決めたことをやる
で いろいろ 思いついたこと
後でやりたいなと思うことは
結構 頭のメモリーを常時
消費する感じがするので
メモに 書いておく という
古典的な 方法で やっております。
あとは 集中しすぎで
体が固まってないか
呼吸が 止まっていないか
周りが見えているか
今 どこに 自分はいるか
とかを 考えるのかも
いいと思います。
目の前のことを ひとつずつ
出来ることを ひとつずつ
何かしながら
考えるなら
掃除をしながら
自分の心を磨くように思ったり
料理の配膳をするなら
食べる人の 幸せを願ったり
そういうことも 助けになると思います。
うまいこと行かなかった時は
一休みして またチャレンジしましょう
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