しなやかに生きる

ながら仕事

 自分のやりたいことがあったとしても、どうも気が散って、集中できないということがよくあります。

気が散る要因は周りが散らかっているとか、うるさいとか、そもそも本当にやりたいことじゃないとか、いろいろあります。その中でも「ながら」作業というのに慣れてしまっているというのが、大きな要因の一つではないかと思います。

 図書館で、ドイツから来られたネルケ無方さんという曹洞宗安泰寺の住職が書かれた「曲げないドイツ人 決めない日本人」という本を読みました。そこで、日本人は何かをしながら何かをするという能力がすごいと褒めてくれているのですが、中途半端に出来るがゆえに、忙しい感じだけ味わって、気が散って効率の悪い仕事をしてるのではと思いました。

 すごくすごく時間が切羽詰まった状況であれば、驚くほどの集中力でいくつかの作業を並行して行うことが出来ることもあるでしょう。しかし、食事中にラインの返事をしてみたり、ワープロで文章を打ちながら電話してみたり、どれも中途半端になってしまって結局何も出来ないし、大事にしてない感じがします。

 仕事によっては、切り替えを柔軟に出来ることも必要だと言われるかもしれませんが、切り替えにもエネルギーを浪費し、エンジンの掛け直しに時間もかかってしまうし、必要がない限りはやらないほうがよくないでしょうか。

 ご飯をいただく時は、いただく。掃除をする時は、掃除をする。お寺の修行では、眼の前のことを一つずつきちんと心をこめて、行うということが重要だと口をすっぱくして言われます。それにはいろいろな意味があると思いますが、一般的な仕事で考えて、効率という点においては、ながら作業をせずに、一つの仕事をやり遂げる方がずっとずっとお得だと思われます。

 修行道場などで、必要以上のものを持たないのも、一つのことを一つずつするために効率の良い環境を作るためなのかもしれません。物がわかりやすく置いてあれば、探すのに時間も取られないですし、気が散るものを置かないということも大事でしょう。仕事をするところにテレビがあれば見てしまうかもしれないし、スマホも手の届くところにあればみたい衝動にかられるでしょう。

ということで、「ながら」作業をどんな時にしているかな、それは意味があることなのかな?と考えるとともに、自分のしたいことがしやすいような環境作りも大事だなと改めて思いました。

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