盆月を迎えて
慈光寺では7月23日(土)に盆の先祖供養、施餓鬼供養をさせていただきました。参列いただいて一緒に読経していただいた皆様、ありがとうございます。
自分や周りの今生きている一人一人が存在しているということは、両親がいてそのさらに両親、祖父母がいてとすると20代前、安土桃山時代ぐらいでしょうかになると約104万人、合計すると209万人ぐらいの方がいらっしゃったからこそ生かされているという、当たり前だけれど考え直すとすごいことだなあと思います。さらに30代前までの方を合計すると21億人ぐらいになるので、みなさんどこかでご先祖さまが同じであったりご縁があるといえます。ただ、一人一人に流れてくる家としての道筋はそれぞれ違うところがさまざまなご縁もあり不思議なところであります。
先祖供養や施餓鬼供養はありがとうございますという感謝を伝えて良い波動、善行為を回向するものです。もう安泰でいらっしゃる方にもまだ暗いところをさまよっていらっしゃる方にも光をお届けすることができます。お経や良い行為、感謝の言葉を回向してもいいですし、南無阿弥陀仏や光明真言をお唱えするのは特に光をお届けするという思いにつながるかもと思います。
今も激動の時代かもしれませんが、ご先祖様が生き抜いていた昔は食べ物や物質、医学等々今より不自由で大変なことがたくさんあったかと思います。施餓鬼供養というのは餓鬼に飲食を供養するというところからはじまっていますが、これを機会に特に日本では今、無駄にしてしまっている食物などたくさんあることに思いを馳せることも必要でしょう。
そこで改めて「いただきます」「ごちそうさまでした」をきちんと丁寧に思いをこめて言うことが大事かと思います。さまざまな命を頂いている、育てた方、たどり着くまでに携わった多くの方(想像もつかない程多くの方の努力があります)、動植物を育んでいただいた自然に対しての感謝と向き合う事。そして頂いた栄養が自分の体内、細胞、臓器等々に行き渡って自分のしたいことをさせてもらえるんだ、よっしゃとなる、いつもよりエネルギーが出て来て、自分の行動も有意義になっていくのではないでしょうか。
お盆の季節、ご先祖様をお迎えするころです。ご先祖様が授業参観に来られているつもりで、こうやって生きてますよと見てもらえるように過ごしてみるのはいかがでしょうか。
この記事へのコメントはありません。