戒めの経
よく説かれた言葉は理解されることが重要である
また学んで理解することが三昧の境地にとって
重要である。
ガサツで不注意な人は 智慧や学んだことを
高めることは出来ない
という 言葉が 戒めの経というお経にあります。
三昧は この場合は 瞑想の事であると思いますが
意識して何かをするという意味で捉えていいと思います。
仏教は 大切な尊い教えを聴くとき
自分を空っぽにして 真剣に聞いて
素直に そのまま実行に 移せとは言われません。
この場合の 戒めは これをしてはいけない とかではなく
教えを 聞いてから その言葉は何を
言わんとしているのか 探して 生き方に反映させなさい
みたいな 意味だと思われます。
いろいろ 日常で これはいい話を聞いたなあとか
本を読んだなあとか よくあるものの
それを 実際に活かせるかは 難しいものです。
腑に 落ちてないとか
自分のものにしてない という感じでしょうか。
で どうすればいいのか。
たとえば 怒って
人にひどい言葉を かけてしまうのは
いけないという話を聞きました。
そりゃそうだ となりますが
いざ そのような状況になると
反射のように 言葉がでて怒ってしまう。
相手のせい ってなんで思うのでしょうか?
相手に どうあって欲しいのでしょうか?
相手の気持を考えてみるのもいいでしょう、
自分が 言われたら どんな気持ちになるのか
相手と上手くやっていきたいなら どうしよう?
もしかしたら 相手も したくて
あなたを 怒らせたわけではないかもしれない。
たくさんたくさん 考えてみることが出てきます。
また 怒ったときの自分の体の変化を
考えてみるとかもどうでしょうか。
肩こりになるかもしれないし 頭痛も起こるかも
消化も 悪くなるかもしれません。
血液の流れ とかも 悪くなっているかもしれません。
自分の 考えの癖とかまで 至るかもしれません。
でまあ 頃合いで 切り上げてみて
急には変わらないかもしれませんが
智慧が増えて
少しずつ 生きやすくなっていく
それは 楽しいことかもしれません。
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