しなやかに生きる

過去の跡

道元禅師の歌に

水鳥の ゆくもかへるも 跡たえて

されども道は 忘れざりけり

というのがあります。

 

水鳥が 行くも帰るも 通ったところは

わからなくなっているけれども

行く道は わからなくなってないよ

みたいな 意味でしょうか。

 

前に 読んだ本だと 覚えているとか

忘れていないよ という意味で解釈されて

いたように思います。

 

 水鳥は 渡り鳥で 遠方から

間違えずに 毎年 行ったり来たりしていて

それを いってはるんでしょうか。

 

 生きていくと

 修行を していくと 自然に

 見えてくるものがあって 

 素直に 一日 一日

 進む方向を 見つけて

 進んでいく。

 

 水鳥のように 跡を

 残さないほうが 

 一日 一日 

 どう進むか よくわかる。

 

 人みたいに 過去を

 どう 通ってきたとか

 考えていると

 邪魔をするだけだし

 そんなもん 頭の中でしか

 なくて 消えて行くもの

 

 過去の 栄光 したことに

 とらわれて いたら

 逆に 本当は 受け取れる

 ものも 受け取れなくなる

 

  自然にまかせたらいい

 でも それは 漫然とではなく

 気づきをもちながら

 

  難しそうですが

 栄光なんて 思うほどのことは

 なくても 自分はこうであるとか

 こうあるべきとか の過去の

 積み重ねを 忘れたほうが

 見方も変わって 楽ですよ と

 今 出来ることを 素直に

 して 受け取るものは 受け取っていく

 

  なんだか 人って よりよく

 なっていかないといけないというような

 流れがあります。

 

  どんどん 善くなっていくのだと

 善人になろうとするのだと という

 なんだか 縛りが あるような感じです。

 

 でも 進んでいるのか どうかはわからない。

 

  変わっていくのは 確かだけれど

 よりよくなっていきたいけれど

  

  昨日の自分より よりよくとか

 自分との戦いというけれど

 過去との比較とはちがう

 どうしたら 今を 

 しっかりと 生きられるのか

 迷いは続きます。。

 

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