しなやかに生きる

同時

マルチタスクが出来ると時間を有効に使えるよというようなビジネス本を何年か前に読んだことがありますが、それが、出来ている人を真似しようとしても、どれも中途半端になってしまうような気がします。

 自動的に出来るようになっているようなことは同時に出来るかもしれませんが、意識しないと出来ないことは、その時、眼の前のひとつのこと。同時にあれもこれもしようとすると、虻蜂取らずで、あれもこれも気になってどれもしっかりできない。

 話変わって、仏教用語としての「同時」はそんな意味の使われ方ではなく、人々を救う4つの行い、布施、愛語、利行、同時のひとつとしてです。

 「同時」とは。相手と同じ立場、同じ目線に立って、物事を考えることです。人は相当意識しないかぎりは、自然に自分の立場を優先しがちです。100%相手の身になることは無理ですが、相手を尊重して、相手の身になって考えようとすること。   慈悲の心、他人の喜びを一緒に喜び、自分の喜びをまわりに広げる。こつこつと毎日心がけ、筋トレのように心を鍛えていくと、自分や周りの人が救われる一因になりますよという事です。

漢字から考えると、自分大好きな気持ちと同じくらい他人のことも考えられるように努力する。自分が自分を大事に思っているように、相手も相手自身の事が大事ということに気づく

 そういう言葉なのかなと思います。

 それにしても、目の前のことを一つずつという事は難しいです、自分は文字を書いているとか、ご飯を食べているとか目の前のことをしているようで、違うことを考えながらとか、しながらとかしていることも多く、しているようで本当にしているのかの保証はありません。

 それに加えて、同時進行すると確実に意識も分散して効率が悪くなります。一つずつ一つずつ片付けていったほうが、すごく早く良い仕事が出来ると思うのに、出来ない。

 反面、自分が好きなことに熱中すると、あっという間に時間が経ち、効率よく動けたりします。そこからすると、熱中できるような意識、環境づくりなどから工夫するのが近道なのかもと考える今日このごろです。

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