しなやかに生きる

念彼観音力

2019.11.24

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観音経は、お観音さまはなぜ「観世音」という名前をお持ちですかと無尽意菩薩がお釈迦様に尋ねるところから始まっています。そして、衆生が様々な苦悩を受けたときにこの菩薩の名をとなえれば、その声をよく聞き分けて苦悩から解脱させてくれるからだとお答えされます。

観という言葉は観察と言うように物事をはっきりと見分けることで、世音は、世の人々の声を心の声を聞いて、切実に望んでいることを察してくださるということです。 観世音菩薩さまという方は世間のあらゆる人々の苦しみや望んでいることを察してくださって、それに応じた教えを説いて、望んでいる方向へ導いていただける。そして、人を導かれるときは、個々人に応じてその場合にふさわしい姿をとって出現される、そういう仏様ですよと言われています。

お観音様にお助けくださいと願ったり、見守っていただいてありがとうございますとお参りすることとあのお観音様のような慈悲の眼(心)を持った人になりたいと願い、常に仰ぎてみ手本にしてゆきたいと努力する。ふたつあわせて、信仰になると思います。

念彼観音力という句が何回も観音経に出てきます。念じるという漢字は、今の心と書くように、その時その時に心に思うことにほかなりません。

人が思うように動いてくれない、意見の対立、いろいろなところで腹の立つことがでてきますが、我と我のぶつりかいあいが進んでいくとどんどん不寛容の心が広がっていきます。そんなときにこそ、お観音様を思い出すときです。お観音様の暖かみに満ちた慈悲の眼差し、願いを思い出せば角付き合う気持ちがとれて、和やかに落ち着いて対応できるようになっていくことと思います。

 

いろいろな悩みにぶつかったときにお観音様だったらどうされるだろうか、どう言われるだろうかと考えたり、怠け心や邪心などが起きたときに、お観音様の眼差しや包容力を思い出していただくと、ひとりでに心が和やかに明るい方向へ向かい、いかなる困難にも対処する力が湧いてくることでしょう。

あと、お観音様のようになりたいと思っても、急になれるものでないのはもちろんのことで細かい一歩一歩が必要です。そこでまずは自分がより良い人になりたい、自分の行動のくせや物の見方などいろいろと観察をしてみるのはいかがでしょうか。

そして、ここが良いように変化させたいというところがわかったら、自分で条件を作ってみると良い習慣はつけやすいと思います。

怒ったということに気づいたとき、不安や怖いと思ったときに、お観音様を思い浮かべるというのも習慣ですし、朝起きて顔を洗うときに、洗面所の汚れを拭くとかいろいろと考えつくことはあると思います。職場で頼み事をするのが苦手な方がいれば、頼もうかな、でも相手も忙しいだろうし自分でなんとかすれば、イヤでも、という考えが頭を巡ったときに、視線を少しあげて1,2と息を吸ってから、声をかける等々条件を作ってみるのも手ではないでしょうか。まずはこう生活を変えてみたいな、こうしたら良いかなということから見つけて頂けることもお観音様に近づける一歩かと思います。 

 人間はだいたい放っておくと怠ける方にいったり、悪い習慣をやめることも難しいので、上書きして良い習慣を作りたいです。         合掌

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