時間は命
精進(はげみ)こそ不死の道
放逸(おこたり)こそは死の径(みち)なり
いそしみはげむ者は 死することなく
放逸にふける者は 生命(いのち)ありとも
すでに死せるにひとし友松圓諦「法句経」 講談社学術文庫 より
いろいろと 解釈がありましょうが
精進せいよー ということですね。
弟子に 説かれている言葉なので
せっかく 修行の方法がわかっているのに
もったいない という 意味が含まれているかもしれません。
日々 移りゆく 物事 自分の生命も 肉体も
変化し続け どうなるか わからない。
なのに〜 (なーぜー♪)
怠けるということは 自分の生命を
捨てていっているようなものだ と。
そこを強く 強く 言われるために
怠けたおしている人は
死んでいるようなものだ という表現に
なっているのでしょう。
ということは あの時代で
自分から 人生を なんとかしたいと
思い すごい決意で
出家した人々でも 怠ける方向へ
行くことが よくあることだったということですね。
私は 怠けたいなあと頭によぎった時
自分の 時間を どう使うかは
自分の 生命を どう使うかと
同じであると
言い聞かせて 踏みとどまろうとします。
効果があるときと 負けてしまうというか
そもそも その言葉を 思いつかないときと
あります。
そもそも 自分が本当にやりたいこと
やる意義を見出して 何がなんでもやりたいという
ことじゃあないと 精進を続けることが難しいとも
思います。
ですので もう そろそろ 節分
この節目に 何が 本当に したいことなのか
しなきゃいけないと思い込んでいる だけなのか
したいと思っているだけなのか
精進するに値するものなのか 等々
考えるのも いいかなと 思います。
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