しなやかに生きる

読経は、なんのために

2018.05.30

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 ひさしぶりのブログです。

 ここ最近の法話で、

お経をあげさせていただく時に、

今から読経をさせていだきます、

よろしくお願いします。と言ってから、

お願いや、ご先祖様の供養のためなどを願って

後に、お経をあげるというお話をさせていただいていました。

 

 私は、毎日、慈光寺でお経をあげさせてもらっています。

 薬師如来さまのお経、お不動様、阿弥陀様、大黒天様等々、

 そして 観音経を10巻、般若心経何巻とか、その日に応じて

 異なるものの、毎日、毎日していると、

 おざなりになってしまっていないか、

 ルーティーンになってしまっていないか。

  そこを気をつけないと、何のためにしているのか、

 ただ時間が過ぎ去っているだけということになります。

 

  私の場合は、相談を受けている方が、こうなったらいいなあとか、

 供養をお願いされている事や、観音講の方々のためなど、

 お経をあげるということが多いので、おかげで、そこに

 陥りにくかったかもしれません。

 (日常では、いろいろな落とし穴にズボッとはまってる事が多いですが^ー^;)

 

  ただ漫然と毎朝夕などの読経をしないためには、まず自分が、お経をあげますという意思。

 お経をあげていると、仏様のお力であげさせてもらっている感覚にも

 なりますが、個人、個人がしようという意思が最初に必要です。

 

 それから、

  なんでお経をあげているのだろうか、自分でしたいこと?

 義務? 日課?

 ご先祖様に感謝を伝えるため?供養のため?

 仕事がうまくいってほしいからお願いする?

 家族が無事で過ごせますようにと願う?

 人間として自分を磨いて高みに行きたいから?

 どちらに進もうか迷っているので、智慧を与えてくださいと願う。

 いつもありがとうございますという感謝のために。。

  等々。。

  何がしたいのか? なんのために? と考えてみると、行が深くなります。

 般若心経の 行深 ですね。

 

  明らかに反社会的な悪いことはともかく、何を願ったからといって

 怒られるわけではありません。

 

  目的や願いがあるほうが、より自分が選択して、読経ということを

 していることになり、自分にとっても周りにとっても良い循環を

 生むでしょう。

 

  一回、なぜお経をあげているのか、考えてみて、

 あげるときには、今からあげさせてもらいます、

 こういう事で困っているのですが、どうしたらいいでしょうか?

 とか、日々の感謝をお伝えするとか、

 なくなった方へこの読経が届きますようにとか、

 伝えてから、改めてお経をあげるということをしてはいかがでしょうか。

 という おすすめでした。

                         合掌

 

 

 

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